2022.08.04
今年の6月、鹿角紫根染・茜染の取材をさせていただきました
その時のブログはこちら ➡ 「時を超えて 紡いでいく」
前回は関さんのご自宅、工房にお邪魔して紫根染めの歴史や技法、伝統を継承することの大切さと難しさをうかがいました
そして先日 実際に染めの工程を見学させていただきました!
社長、常務も一緒に
関さんの息子さんと高谷社長は幼馴染
社長の顔を見た瞬間、「秀ちゃん💛」と懐かしんで名前を呼ぶ関さんの姿が印象的でした
「朝は紫 夕べは茜」
朝の光の中で一段と冴えわたる紫
夕方の光の中で燃えるように美しさを放つ茜
時を経るごとに美しさを増す 鹿角の紫根染と茜染
染め上げた人の魂と共に耀き続ける鹿角の染物は
「神の坐す布」と称えられています
今回、見学をさせていただくことで その魅力を心いっぱいに感じることが出来ました
関さん、研究会の皆さん、そして視力5.0の取材に快くご協力をいただきました参加者の皆さん誠にありがとうございました。
今度は香織さんと一緒に 体験してみようと計画中
みなさんも一緒にいかがですか?
Lots of love, NORICO
【鹿角紫根染 かづの紫について】
江戸時代、盛岡から鹿角に通ずる鹿角街道は「紫街道」と呼ばれ、鹿角盆地は紫色に染まって見えたといいます。南部藩の珠玉の紫根染の原料となるムラサキが、鹿角盆地を紫色に染めるほど豊かに自生していたのです。江戸時代に3大紫の一つにあげられた「かづの紫」は、郷土が誇る宝です。
「鹿角紫根染・茜染」鹿角が誇る伝統の技法
「鹿角紫根染・茜染」は、1300年も前から伝承されてきました。
かつて、鹿角の野山には日本紫草や茜がたくさん自生しており、その根を使って染める紫根染や茜染は産業として栄えました。
色鮮やかで全国に比類ない染め物と言われた鹿角紫根染・茜染は、江戸時代には盛岡藩の特産品となり、朝廷や将軍家への献上品として江戸に送られていたそうです。中でも、深く鮮やかで目を奪われるような色合いの鹿角紫は、京紫や江戸紫と肩を並べる「南部紫」としてその価値を認められ、伊勢神宮や皇室へ献上されたこともあります。
明治時代になると、化学染料の登場により、鹿角紫根染・茜染は一度途絶えてしまいましたが、大正時代に栗山文次郎氏が復活させ、息子の栗山文一郎氏が継承しました。紫根染・茜染はとてつもない労力と時間がかかり、染め上がるまでに33~~5年、長い時には88年もかかります。伝統の古代技法を守り抜き、ひたむきな努力を重ねて染められた栗山家の染物は、90年経った今でも色あせることなく、時が経つごとにより深みを増して、「神の坐います布」と称されます。
栗山文一郎氏が亡くなり、途絶えていた伝統の古代技法を、鹿角紫根染・茜染研究会が長い年月をかけて再現し、2021年3月にようやくの思いで復活宣言までこぎつけました。
研究会では染め体験も定期的に開催していて、鹿角紫根染・茜染の歴史や使われている材料についてもわかりやすく解説してくれます。
鹿角が誇る伝統の技法、ぜひ体験してみませんか?